四条隆資(しじょうただすけ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿、南朝の実務の中心人物であって後村上天皇を守るために、正平(1352)7年5月11日男山八幡で足利義詮と戦って戦死、「李花集」などに和歌が収められた歌人としても知られる。
祇園祭りの山鉾「蟷螂山」について「蟷螂山の起源は南北朝時代、足利義詮軍と戦い戦死した当町の四条隆資卿の武勇ぶりを蟷螂に見立て,永和2(1376)年四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのが始まり」と記載されています。(蟷螂:カマキリ)
四条隆資(しじょうただすけ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿、南朝の実務の中心人物であって後村上天皇を守るために、正平(1352)7年5月11日男山八幡で足利義詮と戦って戦死、「李花集」などに和歌が収められた歌人としても知られる。
祇園祭りの山鉾「蟷螂山」について「蟷螂山の起源は南北朝時代、足利義詮軍と戦い戦死した当町の四条隆資卿の武勇ぶりを蟷螂に見立て,永和2(1376)年四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのが始まり」と記載されています。(蟷螂:カマキリ)